産業革命と菓子の大衆化
18世紀には、世界各国で産業革命が始まりました。
そしてそのことが、菓子文化の大衆化を大きく後押しします。
アントナン・カレームが活躍していた時代には、ほかにも多くのパティシエたちが街角で店を構えていました。
それまで、本格的な料理店はあったものの、菓子店はないに等しかったのです。
市民が近所でお菓子を買えるようになったことでお菓子が広く食されるようになったのは言うまでもないことですが、この時代、あらゆる分野で工業化が図られたこともまた、菓子文化の大衆化に大きく関係しています。
まず、精糖技術の進歩により、砂糖が大量に生産されるようになりました。
それは、サトウキビよりも栽培しやすいサトウダイコンを栽培することによって可能になったのです。
精糖が工業化され、工場での大量生産に切り替わると砂糖は大量に出回ることになりました。
更に、1867年にはドイツで製氷器が発明され、これがアイスクリームの大衆化を後押ししました。
工業化が進むと、世界各国で機械によって一度に大量のお菓子を作ることが可能になり、主にアメリカで、「スナック菓子」と呼ばれるビスケットタイプのものが多く出回るようになりました。
現在の私たちが近所で簡単にお菓子を手に入れるようになったのは、産業革命のおかげです。
最近では、お菓子はアメリカ式の大量生産品とフランスのデザート式に大きく分類されています。