お菓子大好きのマリー・アントワネット
フランスでは、イタリア出身のカトリーヌ・ド・メディシスの改革によって豊かな食文化が生まれましたが、実際にはイタリアだけでなく、ヨーロッパ各地からフランスに銘菓が集まり、成熟した歴史があります。
カトリーヌと同様に未来のフランス国王に嫁ぎ、フランス宮廷の食文化を豊かにしたのは、マリー・アントワネット(1755年~1793年)です。
彼女は日本でも漫画などで知名度が高いので、知っている人も多いでしょう。
彼女はオーストリアの名家、ハプスブルク家の出身で君主マリア・テレジアの末娘として生まれました。
オーストリアのウィーンには既に洗練された菓子文化があり、アントワネットはそれをフランスに嫁ぐ時に持ち込みました。
フランスでは浪費家として知られ、完全に悪女の扱いを受けますが、そんな彼女が日々食べるパンに事欠いた平民を見て「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったという伝説はあまりに有名です(後にこのエピソードは事実でないとわかるのですが)。
彼女が愛したのは、クグロフやブリオッシュなど、現在ではパン菓子として分類されることが多いものです。
アントワネットは夫である国王となかなかうまくいかず、別邸で大好きなお菓子作りに励んでいたと言われています。
彼女の故郷を思い、懐かしむ気持ちが、結果的にフランスの食文化にオーストリアの食文化が融合される原動力になったのかもしれません。