カトリーヌ・ド・メディシスの改革
中世後期、イタリアのフィレンツェでは芸術活動が盛んに行われていました。
そして、数々の芸術家を擁護し、芸術に巨額を投じていたのは金融界で成功したメディチ家の人々です。
そのメディチ家の血を受け継ぐカトリーヌ・ド・メディシス(1519年~1589年)がフランスのアンリ王子、後のオルレアン公アンリ2世に嫁入りすることになりました。
1533年のことです。
このことがきっかけで、フランスの食文化に革命がもたらされます。
洗練された芸術都市国家のフィレンツェでは、既にナイフやフォークを使った食事作法が確立されていましたが、フランス人はその頃まだ手で掴んで食事をしていました。
宮廷の人々でさえ道具を使って食事をしていなかったのです。
カトリーヌは宮廷に食事の作法を持ちこみ、また故郷フィレンツェから多くの料理人を従えて嫁入りし、様々な食材を使い、フランスの食文化を豊かにしました。
勿論、料理だけでなく、菓子文化の改革も同時に行われました。
彼女がイタリアから持ち込み、フランスの菓子として定着したものは数多くあり、フィナンシェ、アイスクリーム、マカロン、フロランタンなどがその代表として挙げられます。
彼女自身がまた美食家であり、フランスに嫁いでからもどんどん肥満体になっていったようですが、フランスの菓子文化が洗練されたのは、紛れもなく彼女のお陰です。