アントナン・カレームと近代菓子革命
マリー・アントワネットが宮廷で美味しいお菓子に下鼓を打つ時代、お菓子はまだ貴族及び特権階級の人々のものに過ぎず、一般市民にとっては手に入らないものでした。
しかしフランス革命により、宮廷に仕えていたパティシエたちが職を失い、自分の店を構えるようになっていったのです。
こうして、街中にパティシエたちが流れてきたことによりフランスのお菓子は一斉に大衆化します。
その中でも「パティシエの神」と呼ばれ、次々に新しいメニューを考案したのがアントナン・カレームです。
彼は子宝に恵まれた家庭の末子として、1783年に生まれましたが、貧乏故に捨てられました。
その後、うさぎ料理店の店主に拾われて、そこで仕事をするようになったのですが、15歳の時に菓子職人になる機会に恵まれます。
有名パティシエのバイイと知り合い、彼がカレームの才能を見抜いたのです。
カレームはバイイのお店でめきめき頭角を現す一方、図書館に通い詰めて多くのモニュメントのデッサンをするなどして時間を過ごしました。
この時に得た教養が、後の美しい菓子製作に生かされていきます。
出世した彼はナポレオン政権外務大臣のお抱え職人などを経て益々腕を発揮するようになりますが、彼のお陰でヨーロッパ各国から輸入したお菓子文化が本格的なフランスの食文化として成熟したのは、紛れもない事実でしょう。
彼のレシピは今尚、多く受け継がれています。